講演会

講演会に行ってまいりました。
宇宙船地球号の行方」
講師は、NPO法人 ネットワーク『地球村
代表の高木善之さんです。
地球村とは国連などが提唱する「地球と調和する社会」(Earth Village)のこと。詳しくは下記HPを見ていただきたいと思います。
http://www.chikyumura.org
新潟支部
http://homepage3.nifty.com/niigatachikyumura/

最近の時事問題から、姉歯建築士(元)の問題を冗談を交えながらのスタート。
前期の講義でも話題となった「アスベスト」問題にも触れていきます。
前期学んでたことがとても役立ちました。
アスベストは1950年代から、危険性がわかっていました。それは偶然にも高木さんのお父様が医者で特にその肺癌の研究やひいては公害にも学のある方だったらしく。それで、近所のアスベスト工場へ抗議に行ったそうなのですが、ちょっと怖いおじ様方が出たそうで、生命を絶たれる危険があり、断念。いざ、直訴と厚生省などへ向かうと今度は「医師免許剥奪」の危機が。そうゆう世の中だったんです。駄目なものも駄目といえない。高度成長期の怖い裏側。日本が経済発展を優位にしていたことが、多くの公害を生みだしたとも言える、人間の欲望の怖さを改めて痛感しました。
その他ハンセン病、この病気について私はあまり詳しくは知らないのですが、隔離・家族との絶縁・家族自体も崩壊という悲惨な結末、伝染病ではないのに苦しんできた人が何千、何万といたのです。自分の無知さを情けなく感じます。
そして、高木先生のお話は日本の危機の核心にせまってきます。
アスベスト、この問題が日本では何故ここ1、2年で出現したのでしょうか。世界では70年代に廃止が決まっていました。
ダイオキシン、世界ではゴミを燃やしダイオキシンを出してはいけない、もうそれは当たり前のこととして徹底されています。

…何故、日本がいまだにそれらを規制することができずにいるか。それは、前述したとおり
「日本は経済発展を優位にしていた」からです。
1つ例をあげます。
「冷蔵庫」
一時期、冷蔵庫には冷却するために「フロンガス」を使っていました。今では、「フロンガス」の使用は禁止されています。
けれど、一時期はその「フロンガス」を使用していた。何故なら、「フロンガス」を使用することで効果的に冷却をすることができ、経済的な効果を得ることができたからです。危険性の方が当時の政府、時代の風潮からは劣勢だったのです。しかし、近年その危険性を世界の国々から指摘を受け、使用を継続した際の社会的地位、それから来る経済的な損害…それらを感じ日本は研究し「フロンガス」の使用を禁止しました。


と、話しているととても長くなるので講師、高木さんが言いたかったことを最後にまとめます。
1、経済は成長させてはいけない。(前述したように害を及ぼすから)
2、事実を知ってできることから始めよう!(具体的には、お酒を飲まない、外食を減らすなどおっしゃっていました。)
3、感情表現をしよう、そして相手の感情も受け止めてあげよう。

簡単にまとめすぎてしまいましたが、他にも話したいことはあるので一気に書くと読む気もうせると思うのでやめます。
そのほか、食料危機についても触れられ、アジアの子供達の現実を生々しく写した写真も見せてくださいました。
現実に目をそむけるな、と。

最後にパンフで
「宇宙から地球の現状を見れば、

経済拡大、大量消費を続ける先進国の人たちは地球を破壊するエイリアンに、

途上国、未開国、先住民の人たちは正常な地球生物に見えるのではないでしょうか。」

と書いてあったのが印象的でした。そこまで言い切られた私は生きていていいのかな、とも思ったからです。

そしたら、その後僕の尊敬する先輩にあって、話したら
「人間には欲というものがあるからね、おいしいものを食べたい、きれいなものを見たいとも思うのが当たり前で、その中でどうやって生きるかだよね」
と言ってくれました。

人間は誰一人として完璧ではない。そう思いながらも正しい自分でありたい、正しいことをしなければならないという義務感に襲われます。だからこそ、人は何が正しいかを求めがちで自分の中で正しくないものは排除したがる。ゼミで、学んだこともそうです。ゼミで今セクシャリティーについて学んでいます。今日別の講義の授業でも今ちょうど同じテーマを学習していて、発表者の意見に心動かされました。
同性愛について、「寛容」であるという概念があたしにもありました。けれど、「寛容」だと思っている時点でそれは少なからず色眼鏡をかけていたのだと。

はっと、気づかせてくれた発表者に感謝しています。

毎日は、新しい物の連続でそれがたまに嫌になる。生きることの意味を亡くしてしまう。それで、生死を彷徨う人の映像やら、本を読んでまた、生きる意味を再確認する。そんな日々です。答えが出ないから、人間は生きて生けるのかもしれない、そう少し思いました。答えが出てしまったらその後私たちはどうしたらいいんでしょう…

まあ、もちろん出さなきゃいけない答えの方が現実自分の周りにはうようよしているんですがね。

長々と書いてしまい、申し訳なかったです。けれど、世界の今を少しでも多くの人に知ってもらいたいから。
あたしが、書いたのは100%あたしの感情が入ってるので読まなくていいですが、最初に載せた地球村のHPだけは見てくれたら幸いです。
ぐだぐだ書いてしまい、何が言いたいのやら…(今、読み返してみたら)